みなさんこんにちは。
ビジュアル系ガラス作家の高木基栄です。
唐突ですが、何か苦手なこと・嫌いなことってありますか?
ボクはお一人様が苦手です。
1人で飲食店に入って食事をすることはごくごく稀。
注文したモノが来る間の短い時間の過ごし方がわからないので、どうしていいのかわからないのです。
今だったらほとんどの人はスマホを見て時間を潰すのでしょうか。
ボクは数年前までスマホを使っていたのですが、少しでも空き時間ができると気がついたらスマホをいじっているのが嫌だったのでガラケーに戻してしまいました。
スマホがなかった頃の人達は一体どうやって時間を潰していたんでしょうね。ほんの10年前くらいの話のはずなのですが、全然わかりません。
ちょっと話がそれてしまいましたが、苦手なことって多分理由がそこそこ明確にある気がするんですが、嫌いなことって「なんとなく嫌い」っていうこと無いですか?
最近、この「なんとなく嫌い」っていう理由で物事を自分から遠ざけてしまう習性はとてつもない機会損失、もったいないことな気がしています。
おそらくこの「なんとなく嫌い」の正体は自分の知らないことだったりして、そのなんとなく嫌いなモノに対して詳しくは知らないんだけど、「だいたいこんなカンジでしょ?それってなんか嫌〜(><)」みたいな。
いい歳こいてそんなカンジで知らないことを知らないまま嫌いと決め込んで自分から遠ざけていくと、どんどん時代に取り残されていきそう・・・なので最近は「ん?なにそれ、怪しくね?」と拒否反応が出るものに関しては少しだけ首を突っ込んで見て、中の空気を一口吸ってみる くらいのことはしないとなぁと思ってます。
最近もこの「なんとなく嫌」と思っていたものにちょっとだけ踏み込んできました。
プロセッコの試飲会なるものに行ってきた
つい先日の話です。
たまたまお誘い頂く機会があって、プロセッコD.O.C.というイタリアのスパークリングワインの試飲会に行ってきました。 1人で。
試飲会という行ったことない会への未知の恐怖と、お一人様という苦手の合わせ技一本です。
会場はキラキラしており、中にはキラキラした人達がいっぱい。。。
「あ〜こんにちは〜♪」なんて挨拶も交わされていたりして、キラキラした人はキラキラした人と繋がってるんだなぁと、しばし人間観察してしまったほど。
出てきた料理も色とりどりで、普段食べている男の一人暮らしの食事なんて茶色いものばっかり(カレー然り、焼きそば然り)なので、普段との色数の差に目がチカチカします。
実際に中に入ってわかったのは、「なんとなく嫌」と思っていた正体は、今まで踏み込んだことの無いような世界に対して「勝手に自分だけが感じていた敷居の高さ」でした。
※会場で頂いたプロセッコや料理はどれも美味しかったという感想しか出てこない、語彙力の無さもここにきて痛感しております。
人が勝手に感じる敷居の高さ
試飲会からの帰り道、行く前まで自分が感じていた敷居の高さについて考えていたのですが、普段ボクが展覧会をする際に知り合いを誘った時に「ギャラリーなんて入ったことないんだけど」とよく不安そうな顔をされるのですが、それと同じだ ということに気が付きました。
やっぱり「なんとなく嫌い」の正体は「よく知らない」ということみたいです。
逆に言えば、知れば嫌いじゃなくなるかもしれない です。
知った上で嫌いならば、それはもうしょうがないです。
どうやったら初めての人にも自分の展覧会に来てもらえるか というずっと考え続けている課題の回答のヒントが試飲会という一見関係のなさそうなところから得られた気がします。
知っていることを増やしていけば、なんとなく嫌いがそうではなくなる可能性もあるので、結局はとりあえず一回は体験しとけ!ということでしょうか。
こうなってくると「食わず嫌いするな」という割と普通な結論になっちゃうのですが、改めて普通なことを知るのも悪くない、むしろ素通りしてた感すらあったのでいい機会だったと思います。
しっかりと噛み締めて味わった上で「嫌い」と言うのは理由がしっかりと説明できるので全くもって問題ないと思うのですが、「なんとなく嫌い」というものがある人は、とりあえず一回しっかり噛み締めてみて、「丁寧に嫌いになる」ということをオススメしてみたいと思います。
いろんなものを丁寧に好き・嫌いを分けていくと、今よりずっと自分の輪郭線がハッキリしてくるかもしれません。鯔のつまり何が言いたいかというと、プロセッコは美味しかったという事と、
とりあえず1回でいいからギャラリー行って作品見てみ!
今回は超絶雑な〆方で失礼致します。
おしまいっ
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