涙の色

ガラス

言葉を見せる 気持ちを見せる 人間を見せる 考えを見せる 何を見せる

 
見えないものをどうやって人様にお見せするか 作家として当たり前のことかもしれないですが、そんなことをグルグル考えています。
自分でも今自分の中がどんな状態かわからないのでとりあえずスタートもゴールも考えずにキーボードを叩いています。
 
 
いろいろ考えていたら小さい頃のことを思い出しました。
今の自分から見ても良く泣く子供だったと思います。
 
 
そんな幼少期の頃を思い出して思わず懐かしくて笑ってしまったのはある年のお正月の話。
おばあちゃんの家に数日泊まったあと、家に帰るのがイヤで、おばあちゃんと離れるのが寂しくて帰りの車で泣いていたことでしょうか。
 
不思議なもので、いつの頃からかあまり泣かなくなって、学生の頃は好きな子に「何考えているのかわからない」とか先生に「もっと情熱を持って」なんて言われたりしました。
決して何も考えていないわけでもなく、必死に夜中までガラスを扱えるよう練習していたのにきっと表には出ていなかったんでしょう。
 
 
それから10年以上の間泣くことなんて数えられるほどしかなかったはず、泣ける出来事なんてほとんどなかったはずなのに、ここ1ヶ月の間気がつけばよく涙を流してしまっています。
 
 
ちょうど1ヶ月ほど前の話です。母から突然ラインが来ました。
ガンが見つかったということでした。
乳ガンと肺ガンが見つかったらしく、「同時期に違う臓器でガンが見つかると大きさに関わらずステージ4扱いになるらしいです。」
自分のことなのに、命に関わることなのに、母からきたラインの文字はとても冷静でした。
当然といえば当然ですが文字なんてものは記号の1つで、そこに感情は乗りません。血も通いません。
そんなことはわかりきっていたはずなのに、なぜだかとても冷たい(感じがした)ラインの文字にとても恐怖を覚えました。
そこには病状のこと、検査の結果待ち中だということ、最近の日常のこと、今年の帰省は見送ってもらえないかというお願いが淡々と書かれていていました。
 
そんなラインを何度も読み返しながら、「一番大変なのは母自身なのだから、ボクには祈ることくらいしかできないだろう。」
頭の中が真っ白になりながらもそう思ったのを覚えています。
 
 
母からのラインの最後に添えられていた、「ごめんなさいね。自己管理が甘かった。自業自得の一言です。」という一言を読み終えてから涙が止まりませんでした。
 
頭の中が真っ白と言いつつも、心はしっかりと何かを想っていたみたいです。
ただただ涙が止まらず、何か他のことをして時間をやり過ごしたくて、人にすがりたくて、感情の乗らないはずの文字に思いを託して、ただただ文字を打っていました。
話を聞いてもらっていました。泣いていました。救ってもらっていました。自分のことしか考えられませんでした。
 
 
2020年は誰しもにとってガマンの年でした。
みんなガマンしているのが手に取るように痛いほどわかったから。
緊急事態宣言という大きな蓋が日本を覆ったから、ボクは一部の感情に蓋をして過ごしていた気がします。楽しいこと以外感じたくはなかったから。
そんな蓋が開いてしまったのでしょう。
1年間貯めにせき止めていた思いです。ちょっとやそっとでは止まりません。
 
 
何かを呪わずにはいられなくて、何かが憎くて憎くてしょうがありませんでした。
何もかも上手くいくなんて思っていたわけじゃないけど、どこか自分は安全圏にいるんじゃないかと思っていたところもあって。
当たり前のことを当たり前だと実感しただけなのに、なぜこんなに涙が出るんだろう。なぜこんなに寂しいのだろう。なぜこんなに苦しいんだろう。なぜこんな思いをしなくちゃいけないんだろう。
 
 
出てくる言葉の頭は「なぜ」ばかり。
限りある命、腐っているために使う時間なんて一秒も無い 頭ではわかっていてもどうにも前に進めず息苦しい。
そんな時間がしばらく続きました。
 
 
涙で思い出しましたが、涙を表す言葉にはいろんな種類があります。
感動した時の涙は「感涙」
悲しみの涙は「悲涙」
強い悲しみや怒りを感じた時は「血涙」
 
もしも涙にそれぞれ色があったなら、辛い思いをして流した涙ほどキレイな色をしていたらいいなと思います。
悲しくて流した涙や、辛くて流した涙でキレイな色を塗ることができたなら少しは救いがあるような気がして。
 
そんなことができたらいいな。そんな思いを込めて、ボクが流した涙の分だけキレイで優しい作品を作れたらと思います。
まだ少し涙の量が足りない気がするけれど。
 
 
好きな人には好きと伝えて、
やりたいことは遠慮せず欲張って、
みんなで楽しいことして笑って、
 
 
そうやってまっすぐに命を使い切れたらな って思います。

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