みなさんこんにちは。
ビジュアル系ガラス作家の高木基栄です。
みなさんは幼稚園(保育園)、小学生の低学年くらいの頃に自分が遊んでたことって覚えてますか??
ボクは幼稚園児の頃は油粘土で自分が欲しいロボットを造ったり、小学生の低学年の頃は自由帳にスーパーマリオのオリジナルステージを描いてはみんなで見せ合ってそれを指でなぞってプレイするという指マリオ(いま命名)で遊んでいました。
最近、共通の趣味がきっかけで知り合った趣味友達のSNSで、その方のお子様のお話が上げられていて、その話がキッカケで自分の幼少期の頃の遊び方を強烈に思い出し、当時の遊びって意外と今の自分の根底にあるものを形成してるものだなぁと感慨深いものだったので今、ふと思い立ちキーボードを叩いています。
段ボールSwitch
その趣味友達の方がSNSに上げていたエピソードというのが、
お子さん達が【品薄で手に入らないSwitch本体を段ボールで自作して、スマホやタブレットでYouTubeのゲームプレイ動画を再生しながら段ボールSwitchのコントローラーを握りしめて擬似的にゲームをプレイする】
という遊びをし、同じく段ボールで作ったソフトを入れ換えたりしてた姿を見て、「お母さん(趣味友達)は絶対にSwitchを当ててやる!」と奮起した という、どの視点から切り取ってもなんだか胸が熱くなるお話。
<段ボール製Switch>
<段ボール製ゲームソフト>
このエピソードを読んで、冒頭にも書いた自分が幼少期に遊んでいた遊びを思い出しました。
本物と本物の間にあるもの
ソフトの写真なんて見ると、ちゃんとソフト1つ1つにタイトルが書いてあって、「マイクラ」や「もじぴったん」「にゃんこ大せんそう」と実際にあるタイトルばかり。
自分も経験があるのでおそらく同じだと思うんですが、やっぱりこれは当人にとっても代わりのもので一番欲しいものは本物のSwitchだったりソフトなんですよね。
大人の眼から見てしまうと当然ですが線は真っ直ぐじゃないし、サイズも左右非対称。。。なんてところがついつい目に入ってしまいがち。
でも考え方を変えると、線が曲がっていても、形が歪でも、そして何より本物のSwitchではなく段ボールでも十分に楽しい時間を過ごすことができる「スイッチ」として成立してるんですよね。
ボクたち大人がこの「スイッチ」を触ってもおそらく彼らのように楽しい時間を過ごすことは出来ないでしょう。
(乱暴な言い方をすれば)ただの段ボールで本物さながらのゲーム体験ができる子供達はホントにみんな天才で、段ボールで出来た「スイッチ」を楽しめないボクたち大人は、成長する過程で目に見えない何かをポロポロ落としてしまったんじゃないかと思います。
むしろ目に見えない何かをポロポロと一つづつ落としながら歩んでいくことを「成長」と呼んでいるのではないかとすら思います。
なんとなくですが、「スイッチ」を本物のSwitchたらしめる、子供達本人の眼にのみ映って見えるものが才能とか、もっと言葉にならない子供達だけが持つ何かなんだと思いました。
初めてガラスを触ったあの頃の話
話は大きく変わりますが、ボクが大学生の頃バイト先の飲食店でお客さんによく聞かれた質問で印象に残っていて今でもよく覚えているのが、「ガラスは趣味でやってくの?」という質問です。
おそらく当時のお客さんにはなんの悪意もなくボクにこの質問を投げかけてきたんだと思いますが、当時のボクは趣味でやっていく気持ちなどサラサラなく、「なんでこの人は初めからガラスを趣味でやっていくと決めつけてくるんだろう」と心底ムカついていたことを覚えています。
10年以上経った後、当時バイト先でボクに質問して来たお客さんが展覧会を見に来てくださったことがあり、その際「ずっとガラスを続けられてすごいね。夢叶えててすごいね。」と言ってくださった事はムカついた質問とセットになって今でもとてもよく覚えています。
大学1年生、18歳の頃初めてガラスを触ってから、ラッキーなことに18年間経った今もボクはガラスを触り続けられています。
ホントに謙遜でもなんでもなく、ただ好きなことをやっているだけなので、自分のことを取り立ててすごいと思った事はありませんが、もしも何か人にすごいと言ってもらえる点がボクにあるとすれば、18年間ガラスを続けられている運の良さがすごい といったところでしょうか。
と言っても、18年間ガラスを続けるというとなにやら大げさに聞こえますが、ボクの感覚では、18歳の頃ボクが片思いしてしまったガラスという女の子にずっと振り向いてもらえないまま、今でも「好きだ付き合ってくれ」とアプローチをし続けているだけの話です。
夢なんて叶うどころかずっとフラれ続けているだけの話。
18年間フラれ続けても尚諦められないくらいのいい女(ガラス)の魅力の方がよっぽどすごいんじゃないか と思います。
実のところ今年のこのコロナ禍に入ってからというもの、18年間で初めてガラスが全力のテンションで触れていない状況が続いていました。
それは完全に個人的な気持ちの問題で、何をしてもいつもだったら出すことができる最大馬力の何分の1しか出せていない気がしています。
原因は朧げにわかってはいるものの、その解消方法までもは思いつかず、ずっと真綿で首を絞められているような、「死にはしないけどずっと息苦しい」みたいな。
そんな気分を誤魔化したくて始めた趣味がキッカケで出会った趣味友達さんからの段ボールSwitchのエピソード。
彼らが作った「スイッチ」の画像とエピソード、そして彼らの創造性に作家としてすごく嫉妬しています。
2020年も最後の月になってしまいましたが、なんとかこの陰鬱とした気持ちを2021年に持ち越さずにすみそうです。
小さな才能たちと、今回このエピソードをこのブログに書き記したいとお願いをした時に快諾してくださった趣味友達さんにはとても感謝しています。
おしまいっ
名前も知らない小さな才能たちへ
多分君たちがこの文章を直接読む事は無いんだろうけど、お母さんに君たちが漫画家になりたいと聞きました。
偉そうな事は何一つ言えないけれど、こうした方がいいよって何か言えるとするなら、どれだけ人にバカにされようと自分の好きな事に自信を持ってね。
人が言うことなんて何も気にする事はないよ。
人の好きなものに対して文句を言ってくる奴や、笑い者にしてくる奴らは大抵自分にはそこまで好きになれるものがないから君たちのことが羨ましいんだよ。
だから変に自分の好きなものや事に折り合いなんかつけずに、決してみんなが言う変な「成長」なんてしないでね。大事なものをその手からポロポロと落とさないようにしっかりと握るんだよ。
こんないい加減なボクですらこの歳まで好きなことが続けられています。
この先どうなるかわからないけど、お互い死ぬまで好きなことを追い続けられるといいよね。
一緒にがんばろうね。君たちの創造性に本当に救われました。心からありがとう。
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