恋愛工芸論

日々の制作

こんにちは。ビジュアル系ガラス作家の高木基栄です。

 

展示会場にて在廊している際に、お客さんから尋ねられる率No.1の質問に「この作品のモチーフはなんですか??」というものがあります。

「ない!」って即答してしまうんですが。。。

 

ないものはないのでしょうがないのですが、モチーフなしで作品はできるものなのか。

そもそもモチーフは必要なものなのか。なぜ必要なものなのか。

 

最近同じような内容のお話をする機会が多々あったのですが、モチーフの有無については工芸とは という話をせずに説明するにはなかなか難しいので、極めて私的な制作論・工芸論ですが、それと絡めてお話できたらなぁ と思います。

 

 

I am 工芸家

よく初めてボクの作品を見た方に彫刻家?とか現代アート?とか聞かれたりしますがボクは自分のことは工芸家だと思っているので、自分は工芸家です と答えさせてもらってます。

 

 

※この質問の時に出てくる「現代アート」という言葉が出てくる経緯としてはよくわからないもの(自分でカテゴライズできないもの全般)=現代アートの図式で使われてくることが非常に多いです。

①器=使えるもの ②オブジェ=使えないもの ③現代アート=①、②以外のどこに属するかわからないもの みたいな。

この言葉の使い方は完全に間違っているので気をつけたほうがいいです。怒られるを通り越して呆れられます。

 

↑ボクはいいのですが、この作品ですからね。そう言いたいのはわからんでもないですがいろんな意味で他の方に対して失礼です。。。

 

 

で、工芸家を自称すると次は決まって「え!?工芸っていうのは器とか使えるもので、芸術性のある装飾のあるものとかを言うんじゃないの??」というリアクションを頂きます。

 

工芸(こうげい)とは、実用品に芸術的な意匠を施し、機能性と美術的な美しさを融合させた工作物のこと。多くは、緻密な手作業によって製作される手工業品である。あくまでも実用性を重視しており、鑑賞目的の芸術作品とは異なる。ただし両者の境界は曖昧であり、人によっても解釈は異なる。

引用:Wikipedia

ヤバい。みんな大好きウィキペディアにもそんなようなことが書いてある。

 

 

でもね、違うんですよ。

<ただし両者の境界は曖昧であり、人によっても解釈は異なる。>ってあるのがせめてもの救い。

 

 

じゃあ工芸って何なん?

一言で説明しようとしてもムリだし、それをやるならボクじゃなくて評論家の本とかを読んだほうがいいです。

ただそれだけじゃ単なる突き放しになっちゃって面白くないので、極力専門用語とかを使わずに誰しもがわかるような例えで説明してみたいと思います。

 

 

作品制作=デート である

ボクの場合だと扱う素材はガラスなので、例えるならガラス=彼女 です。

制作=デート、コンセプトや作品のスケッチ等はデートプラン といったところでしょうか。(以下全て各々変換しながら読み進めてください)

 

 

 

みなさんは意中の異性やパートナーとのデートはみっちり計画してからその通りに進めて行く派ですか?

それともざっくりと目的地だけ決めておいて、その時々のノリや会話の中から細かいことを決める派ですか?

 

ボクは後者、その時々のノリで色々決めるほうが好きです。

だって、事前に計画を練って「今日はドライブデートで〜三ツ星レストランを予約しておいて、その後は夜景を見に行って〜」

なんて計画してても、レストランで食事してる間に雨が降ってきて夜景どころじゃなくなったりすることもあれば、ドライブの途中でマクドナルドを見つけちゃってマクドナルドでの思い出話に華が咲いちゃったりして、レストランをやめにして急にマクドナルドに行きたくなっちゃったり 等々。。。

 

いろいろ予定通りにいかないことってあるじゃないですか??

必ずしも予定どおりにデートを進めることが100点満点なわけではないですし、なにより彼女にも意思がありますからこちらのプランを全部押し付けるわけにもいきません。

三ツ星レストランで食事するよりもマクドナルドのドライブスルーの方が正解な場合もあるはずです。

 

 

理想のプランは頭の片隅に置きつつも、その時その時に起こることを受け入れてその中でベストな解答を選ぶ。

 

それがいいデートなのかなぁと。 毎回毎回一緒っていうのも案外上手くいかないですしね。

 

 

とまあ、制作に関してはこんなカンジです。

こんなデートの仕方がボクにとっての制作(=素材との付き合い方)かなと思います。

 

 

で、それを踏まえて工芸って何?っていう質問に答えるとしたら、

工芸≒その素材との恋愛 と結論付けると個人的にとてもしっくりきます。

 

 

モチーフいる・いらない問題

これは学生時代の頃から思っていたことですが、普段ボクの扱っているガラスという素材は透明です。

よく同じ透明ということで水をモチーフにしたり、風をモチーフにしたりする同級生・先輩・後輩がいたりしました。

「ガラスでこの水の◯◯を表現したくて〜」とか、「風の◯◯なカンジを作りたくて〜」なんていうのが作品を説明する時の常套句。

 

 

これに関しては 「いやいやいや、もっとちゃんとガラスのこと見てあげなさいよ!」って思ったりします。

「ガラスでこの水の◯◯を表現したくて〜」とか、「風の◯◯なカンジを作りたくて〜」という思いで作品を制作した場合、ガラスという素材は水や風なんかの表現したいものの触媒にしか過ぎません。

 

 

先の例えを<工芸≒恋愛>という考え方の元で言い換えると、

「ガラスで水を表現したくて〜」=「新垣結衣が好きだから、新垣結衣似の彼女と付き合うことにしました〜」みたいな。

 

「風のこんなカンジを作りたくて〜」=「モデル風のスタイルのイイ人が好きで〜」みたいな。

(※女性の方は「新垣結衣」を「男性芸能人」に、スタイルの件を「背の高い」とか「細マッチョ」に変換してみてください。)

 

自分と付き合った理由がそんなカンジだったらめっちゃイヤじゃないですか??

もう相手の性格・人間性関係なしです。その人と付き合う理由が表面的すぎる。

 

 

たとえ好みのタイプの女性が新垣結衣でモデル体型が好みだったとしても、意外と好きになった相手って全然違うタイプだったりするはず。

一番大事な、好きになった理由は別にある。

 

水に似てるから〜はダメだけど、ガラスを触っている中で、ガラスの中に本当に水が見えたならそれはアリだと思います。

新垣結衣に似てるから好きになる のと 好きになった人が新垣結衣に似てた みたいなカンジで、似てるけど天と地ほどの差がありますよね。

 

 

ボクのこの作品もよく「細胞に似てるね」 という感想をよく頂くのですが、細胞に似せて作ったのではなく、正しくは「作った作品が細胞に似てるように見える」です。

 

 

でも結局考え方は人それぞれ

と言ってしまうとなんだか責任放棄のようにも取れますが、そうではなくて本当にそれぞれの形があるんだろうなと思っています。

 

 

個人的には人それぞれの形があるっていうところもなんだか恋愛っぽくて恋愛工芸論っていうタイトルは気に入ってます◎

 

でも結局考え方は人それぞれ に一言続けるとするならば、だからこそ考えることは大事だと思う。

 

考えるためにはその事に対して正面から向き合わないとダメですからね。向き合うための一つの方法として考えるというのがあるのかも。

 

 

いろいろ思ったことをバーっと書き出してしまったので抜けてるところがあるかもしれないですが、多分まだまだ恋愛工芸論は続きがあると思うので制作・発表を続けていく上で、続きが書けるようになったらまた発表して、どんどんアップデートしていけたらと思います。

 

つづくっ

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